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Name:蒼矢
芋が好きです。
というか澱粉が好きです。
あとたんぱく質も好きです。
そろそろ運動不足と万年金欠を解消しようと思ってはいるけど大抵思うだけで終わる怠惰な学生やってます。


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第三者だけれど、だからこそ。

だらだらっと書いたので、でろでろっと流してくだされ。


司法に関して、その一端でも考えたり学んだりする立場の人間だからなのか、ニュース等を見るとどうしても理屈っぽく捉えてしまいがちです。
被害状況とか被疑者確定の証拠とか罪状とか。
量刑の妥当性とか検察・弁護人双方の出方とか判決までの期間とか。
目の行く部分が外面的過ぎるというか。
法曹関係の仕事に就かれてる方は、客観的な見解を求められるんだろうとは思いますが、もうちょっとなんか、ないのかよと思ったり。

今起きたり今後起きる犯罪は裁判員制度の下で裁かれるのかとか。
私なら量刑どうするだろうとか。
判例から見れば明らかに極刑なんだろうけどそれに従っていいのかどうかとか。
そもそも判決を下すことに良いも悪いもないだろとか。
…そこじゃないんじゃないのかと。
感情で決めていいものでないことは十分わかってはいるんですが、それでも、それだけでは納得できない自分もいて。かといって、情に流されて重罪にすればいいとしか考えていない人がいることも許せなくて。じゃあ自分はどうなのかと考えてみて、わからなくなったりして。
死刑について考える時なんかもよくこういう状態に陥ります。

葛藤というほど大袈裟なものじゃないですが、自分の価値観を再度かき回して考えたいです。
感情を排除して理屈による支配をするのでもなく、理屈を退けて感情に振り回されるのでもなく。
それぞれを別の次元で考えることは出来ないものかとか。
それでは政治も司法も成り立たないのかどうなのかとか。

「自らの良心に従え」 と、最終的に裁判官は判断を迫られます。
ただ少なくとも、私の良心は理屈に従って動くわけではない、と思うので難しい。
できることなら合理的、論理的、客観的に判断したい。
でも怒りと悲しみがあるのも事実。
司法の問題って、つきつめると本当に難しいです。
こういう所に片手だけでも突っ込んでる立場なだけに、真剣に向き合っておきたい。


まず何より、あの時あの場所で理不尽に傷つけられた方々のことを悼みます。
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